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笠間の偉人

 

  • 坂本 九(さかもと きゅう)

坂本 九(さかもと きゅう) 「九ちゃん」とみんなから親しまれた坂本 九。本名を大島 久(ひさし)といい、九男だったことから九ちゃんと呼ばれたようです。戦時中、母親の故郷笠間へ疎開をし、多感な少年時代を笠間の自然と共に育んできました。少年時代の九ちゃんは明るく、いたずら坊主だったと評判です。結婚式を笠間稲荷神社で挙げ、その後、市内をパレードしました。事故で他界しましたが、九ちゃんの歌は、今でも多くの人に感動を与えています。日米でミリオンセラーとなった「上を向いて歩こう」はあまりにも有名です。





  • 親鸞聖人(しんらんしょうにん)

親鸞聖人(しんらんしょうにん)浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、1173〜1262年までの90年の生涯を布教活動に費やしました。親鸞は、貧しい農民層その他、現実の苦しみから救いを求める民衆に「何よりも阿弥陀仏の救いを信じて、念仏すべきだ」と教えました。教えのひとつに悪人正機の教えがあります。「歎異抄(たんにしょう)」に「煩悩具足の我らは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、往生の正因なり、よって、善人だにこそ往生すれ、まして悪人をや」と。悪人とは、自分の力ではどうすることもできず、救いをあきらめていた人々ですが、これに対し、修行ができなくても悲しむな、阿弥陀仏を唯一心に信じ仏の願力にまかせれば、仏の救済を受けることができると説きました。「教行信証」は、稲田の草庵で書き始められました。笠間には、親鸞伝説が多くありますが、山伏の弁円との対決「板敷山の法難」は有名な話です。

  • 木村 武山(きむら ぶざん)

木村 武山(きむら ぶざん)木村 武山は、明治9年笠間町箱田の旧笠間藩士木村 信義・春の長男として生まれました。笠間小学校を卒業すると、東京の開成中学校に入りました。中学の2年を終えた明治25年に東京美術学校の日本画科に入学し、同29年卒業すると橋本 雅邦の門に入り、狩野派の奥義を学びました。明治39年に岡倉 天心、横山 大観ら日本美術院首脳部と共に茨城県の北端、五浦海岸に移り、文展に「阿房却火(あぼうごうか)」「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」などを出品し、みごと入賞に輝き、日本画家の第一人者の地位を築きました。武山は「仏画の武山」と称されるほど、仏画に優れていました。高野山金堂壁画を初め、晩年には大日堂の壁画に情熱を捧げ、昭和12年に脳溢血で倒れた後も、左手で描き続けましたが、完成を見ずに67歳で死去しました。

  • 植芝 盛平(うえしば もりへい)

植芝 盛平(うえしば もりへい)合気道開祖・植芝 盛平は、明治16年に和歌山県田辺市で生を受け、剣術や柔術等いろいろな武術を修業され、昭和初期に近代武道として合気道を創始されました。昭和19年から20年にかけて笠間市(旧 岩間町)吉岡に合気神社と茨城支部道場を創建しました。「真の武の道は武農一如、己の心・肉体とそれらを結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬にこそ原点である」とのかねてよりの信念に従い、妻はつと共に東京よりこの地に移住しました。そして、ここで合気道を完成させました。現在、合気道の聖地といわれています。


  • 山下 りん

山下 りん山下 りんは、1857年(安政4年)5月25日、笠間に生まれ、兄と弟の三人兄弟でした。りんが7歳の時に父が亡くなり、貧しい生活でした。幼いころから画家を目指し、家族の反対を押し切り上京したのが16歳の時です。明治10年、日本最初の工部美術学校へ入学しましたが、教師の指導に不満を覚え、同13年退学しています。学生時代にロシア正教宣教師ニコライの洗礼を受け入信し、ロシアへ留学しました。明治16年に帰国した後、イコン画家(聖画家)として明治から大正にかけて建てられたロシア正教会の聖堂のために多くのイコン画を描き続けました。大正7年に故郷、笠間に戻りましたが、一切絵筆をとることはありませんでした。イコン画に生涯を捧げ、独身を通したりんは、晩年、好きな酒を楽しみ、悠々自適な生活を過したようです。

  • 高野 公男(たかの きみお)

高野 公男(たかの きみお)「別れの一本杉」、御存じ春日 八郎のヒット曲です。その作詞者である高野 公男は、笠間の出身です。笠間郊外にあるのどかな田園風景、その中に一本の素朴な杉の木、絵になりますね。






  • 加藤 桜老(かとう おうろう)

加藤 桜老は、常陸笠間藩の儒学者です。藩校の時習館で文武習得後、学識の高さを認められ、18歳の時には都講(講師)をつとめるようになりました。安政3年(1856年)には、筑波・葦穂・我国・加波・難台など十三の山々が見えることで名付けられた「十三山書桜」を、笠間市の御旗前に建てました。そこには、数々の著名人が桜老を訪ねに来たとされています。

  • 小野 友五郎(おの ともごろう)

小野 友五郎(おの ともごろう)笠間藩士の五男として誕生した小野 友五郎は、そのたぐいまれな算術(和算)の才能を買われ、24歳の時に、幕府から江戸屋敷勤務を命じられました。当時、笠間藩でも下級クラスの武士が幕府に仕えることは極めてまれで、小野の能力の高さを物語っています。幕府では、暦作りのための測量に力を発揮し、万延元年(1860年)には、勝 海舟とともに「咸臨丸」に乗り込み、アメリカへの渡航を果たします。帰国後も数々の業績を残し、勘定奉行にまで出世しました。

 

 

 

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